雑記

140字じゃ書ききれないこと。 (@tkkr_g)

THE BACK HORN『運命開花』レビュー

 「原点回帰」のアルバムです。バックホーンらしいアルバムです。

 様々なメディアでそんな言葉が繰り返され、語られ、書かれ、私は『人間プログラム』や、果てには『何処へゆく』のような青さと痛々しさを感じるアルバムを想像していた。そんな曲が、現在の渋みがでてきたおっさんバックホーン(褒めてます)にできるのか?結婚して幸せ満開の人が居るバンドで(心から祝福してます)できるのか?でもこの時代、好きなんだよなあ。なんてことを期待していた。
 そんな思いで聞いてみた1回目は、拍子抜け。なんだ思ってたのとは全然違う。バックホーンらしいか?なんかどこかで聞いたことあるような曲ばっかだ。原点よりもっと前の、歌謡曲とか、軍歌とか、めっちゃ時代回帰してんじゃん。

 しかし、そんな印象がマイナスからプラスに変わったのは、Real Soundの小野島さんの記事(http://realsound.jp/2015/11/post-5412.html)がきっかけである。以下はそこからの引用だ。

 ――まずはアルバム全体の音響デザインだ。菅波は本作収録の「その先へ」を作った時、自分が若いころに聴き影響を受けたニルヴァーナレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンといったバンド、ひいてはその源流となるレッド・ツェッペリンジミ・ヘンドリックスといった古典的な「ロックの王道」を自分たちなりにやろうとしたという。だがそれを手癖と衝動だけに任せ漠然と演奏・録音するだけでは、単に古臭いだけのレトロなものとなってしまう。そのために楽器・機材を徹底的にモディファイして、録音の仕方や楽器の鳴りまで、曖昧さのない、とことんソリッドでタイトなサウンド・テクスチャーを目指した。これはたとえば英国のミューズのようなバンドと同じ方向性であり、王道のパワー・ロックの骨太なエネルギーや熱い初期衝動を、モダンで現代的な今のサウンドとして仕上げたという点で両者は共通点がある。いわばTHE BACK HORNTHE BACK HORNらしさとして本質的に持つ古典的なロックのロマンを、今の時代のクリアでソリッドで曖昧さのない音響デザインで鳴らした。それはそのまま『運命開花』のサウンド・コンセプトとなっているのである。

私が「時代回帰」「聞いたことある」と思っていた感覚はその通りで、彼らの示す「原点」とは「ロックの原点」「自分の音楽の原点」という意味であった。彼らはそこまで自分を見つめ直し、今回のアルバムを制作したのである。しかしその原点もメタルからポップソングなど多様であることが、バンドならではである。

 

 「バックホーン誕生以前」まで自分を見つめ直した彼ら。すると、バックホーンらしさとはなんなのだろうか。菅波が音響デザイン面でのバックホーンらしさを語っているが、そこだけではないと私は考える。

 『運命開花』というタイトル。
 「開花」しただけがゴールじゅない。花は咲いたら、種を飛ばす。そして新たな生命をこの世に宿す。
 このアルバムはいわば「バックホーンの新たな幕開け」を示唆する作品であるのだ。バックホーン誕生以前を見つめ直したことで開花したこのアルバムは、きっと新たなバックホーンをもたらしてくれることだろう。

 インパクトや新規性がなくても、ひっそりと花開いた運命のアルバム。この花がどのように色付き、種を残すのか。「その先」を期待させるような、予感に満ちたアルバムなのではないか。

映画「BLOODY SHADOWS」感想

うたの☆プリンスさまっ♪』の「BLOODY SHADOWS」についての感想です。
ネタバレはもちろん、メタ的な発言もします。

 

 

【物語について】
 とりあえず、ウォーレンがなにも報われてないのが切ない。
 Twitterでも「ノーコメント」(まあ「悪い結末だった」とは言えないから)と言っていたように、愛も貫くことができずに中途半端で、友も結局は闇に堕ち、主にも反逆してしまい、他の役とは違ってひたすら不幸というか。でもその中途半端で全然格好つかないところが一番「人間らしい」と思った。レン自身の普段はカリスマ的で隙がないけどたまに見える幼さを役でも見られた感じ。『JOKER TRAP』よりもかなりいい役だったと思う(正直JTは役の魅力あんまなかったかなと個人的には思っている)。レンに対する贔屓目はあるにしても、「ウォーレン」という人物をとても好きになった。
 その「人間らしさ」は恋をしたり友情を感じたりでも表れていて、それだけでなく歌詞の割り振りやセリフ分けにも表れていると思った。最後のセリフ「だが、怖がることはない。じきに朝がくるのだから……」、曲中「憶えばいい」「愛を守れるのか?」「せめて最後だけ」「優しく抱き」「友との奏でるレクイエム」「朝を待って」「想えるから」「愛が示すまま」「祈り続けること」「暖かい光」「忘れはしない」など、他のキャラよりも人間的な言葉が多い。(作中、人間=光・愛・朝、バンパイア=闇・無感情・夜などで表象されている。)ウォーレンは誰よりも(人間であるマサフェリーよりも)、朝を愛し、光に憧れ、愛に生きている存在なのだ。
 まっすぐに愛のために躊躇なくバンパイアになれる人間のマサフェリー、なにもかも中途半端で光と闇の間で揺れ動くバンパイアのウォーレン――ふたつの意味で「人間的」な彼がどうしようもなく魅力的なのだ。
 そしてレンがインタビューで語っていたように、たしかに彼は幸せになってほしいと思った。加えてウォーレンの切なさ、そしてレンの願いも叶わない切なさ――またふたつの切なさがここには交錯しているのだ。

【メタ的に見て】
 これはJTの時にも思ったのだが、脚本p.4ページのマサフェリーのセリフにレン「ヤボな男だね」、p.8-9のレンと真斗の書き込みなどは、絶対役者としての2人ならしないと思って少し冷めてしまう。脚本家に対する文句だろこれ。
 まあしかし、本来ならありえない「キャスト3人の書き込みが一緒に書かれている脚本」なんてものは存在しない。これはファンサービス用に書かれたものなのである。もちろんキャストが実際に脚本に書いていたメモなどもあるのだろうが、それに加えて書かれたものがあることをそれこそ「ヤボ」に表してしまっている。だがファンサービスだと思って見ると、「罰ゲームに等しい」には思わず笑ってしまった。可愛い。

 結末として、3人ともバンパイアとして闇に消えていくのだが、この結末のために書かれた脚本だなあと感じてしまう部分があった。それは、アイレスがマサフェリーの提案を受け入れる時だ。うん、批判を承知で書くけれど、ここで自分が人間だった時のことを思い出して「愛」を感じたなら、アイレス死ねばいいんじゃないですか?アイレスがそこまで「生」に執着する描写がない以上、生きてるのにも飽きてるだろうし「僕が死ぬよ」ってならないんですかね私ならなります。その辺の感覚がよくわかんなくて「ご都合主義な脚本だな」って思いました。

 あと毎回思うけどこのヒロインいらなくないですか?こんな主体性のない役、演じてくれる女優はいないって某ドラマPが言ってたよ。これは乙女ゲームじゃない、映画だろ。というか乙女ゲームでも七海春歌はすごいぞ。

 メディアの話で言うと、最後の3人の独白っぽいセリフ群も映画というより、演劇的?だなと感じた。映画はその「画」でそのセリフ群を語らなきゃいけないと思うゾ、だから脚本にそのセリフ入れないと思うゾ。まあ私は演劇に馴染みがないので劇シャイでは気にならなかったが、脚本見ながらドラマCD聞いても全然「映画的」でないと感じた。「画」がなくても映画的なものなんてたくさんありそうなものだが、どうやらそこまで考えて作ってはいないらしい。激シャイと違うことは、撮影場所についてのキャストの発言があったりCGのような映像技法が使われていることくらいかなあ。そんなんじゃ映画好きに怒られそうだ。

 

といったことを1回聞いただけで考えた(から間違いなどもあるかもしれない)。
 ウォーレンと神宮寺レンに関してはすごく良かったと思う。他の2人もキャストと役の関係は良いし(まだそこまで深く考えられてないし)。エレガも最高。
 ただ、やっぱちょくちょくぶろっこりサイドの箇所が甘いというか、『Debut』の時に「シナリオがクソすぎて私の好きな書き手さんがうたプリから離れサイトを消した事件」があったように「なんだかなあ…」ってなることもあって。まあおかげで絶妙な距離感を維持できますありがとうという感想です。ここも完璧だったら私は盲目的に専属ATMになってしまうわ。

 総合的に見ると、個人的にはウォーレンが良かったので満足です。いつか神宮寺レンというアイドルについての文章を書けそうなくらい、私は彼を評価しています(偉そうだけど他の言葉が見つからなかった)。

UBC-jam 山田将司弾き語り

自分の大学に山田氏がいらっしゃるなんて夢みたいです。
山田氏の首についてる磁気ネックレスになって諸々のコリをほぐしてあげたい。ライブの時に喉をあっためるめぐりズムのアイマスクになりたい。将司の喉は尊い。

 


将司アコギと曽我さんキーボードという編成。

・ピンクソーダ
一曲目にこれが来るなんて誰が予測できただろうか。たぶん20歳前後の頃の曲だからかな。
そしてアレンジが渋くて良い。もちろん原曲も好きだけど、その青臭さがなくて、今の将司に合う。
しょっぱなからすげーもん聞けた。

・冬のミルク
定番だけどこれも20歳前後の曲かな。
鍵盤入るとまた全然違うよね、でもラスサビ前のキメはダサく思えるだがそこがいい(笑)。
1・2曲目が異様にネガティブでファン向けの曲で、こういう天邪鬼なところが好きです。ありがとうございます。

MC
ビクターは早稲田出身の人が多いらしいですが、私は受けられなかったです。
ばくほんにはどこか神聖さを見出しているので近づくのが畏れ多いチキンハート。

・今日、君と
ふんわり鏡月のアレ。ちゃんと曲になってるんだコレ。知らなかった。CM的には「君」=石原さとみです羨ましい。
ずっと「今日君と~」って言ってた。メロディずっと同じなんだけどええ曲やな。
このご時世に「メール」なのが好き。将司が「ノーLINEだっぺ!」って言ってたの2年くらい前だっけ。

・美しい名前(キーボードのみ)
イントロとかで心音みたいにハネてないアレンジは初めて聞いた。いつもより歌を聞かせにいくアレンジだなあ。
でもやっぱ原曲サビ前のギターフレーズって良いよね、あれないと寂しいというか切実さが半減する。歌詞はすごい刺さるんだけど、音で「刺さる」感覚がない。

MC

・コバルト
ほんとに「弾き語り向けじゃねえ」な!でも弾き叫びだよな!またやってほしいな弾き叫び!
栄純から借りてきた例のリフを弾いてる時は顔が辛そうだった(笑)。地味に辛いよねアレ。
そういや他の人基本座ってたのに将司は立ってやるのが通常でさすがだと思った。好き。

・刃
お前「弾き語り向けじゃねえ」とか言いつつ最初から弾き語る気ねえだろ!的2曲です。みんな知ってる曲だからね。
間奏もジャカジャカ楽しい。

 

将司は歌唱力も表現力もエネルギーも高いので、ひとり(まあ曽我淳一さんいたけど)でこれだけ魅せられるって本物の歌い手だなって思った。これがあるから「曲は初期が好きだなー」なんて思ってしまっても離れられない。あと、これは将司の力ではないかもしれないけど、バクホンが何かをアレンジする時のアレンジ力はみんなに知ってほしい。アレンジする原曲の力もあるのかもしれないけど。
カバー曲集とか山田弾き語り集とか出してほしいなあ。あとディナーショーやってほしい(笑)。アダルトで落ち着いた感じのイベントが見たいです。

ありがとう。

映画『バクマン。』感想

バクマン。』見てきました。
私は原作も(立ち読みで)全部読んだし、ジャンプっ子です。一言で言うと愛に溢れてました。面白いところを言語化しやすく語りやすい、わかりやすく面白い作品でした。キャストもストーリーも演出も、イイね!って感じ。

 

 

 基本的に原作愛に溢れていて忠実だが、映画オリジナルとして、サイコー(佐藤健)達が書いている漫画が今後を暗示するものになっているのが面白かった。
 「ずっと待ってる」のコマを見たシーンで「亜豆(小松菜奈)だ!!」と思わせておいて、その後に「先に行く」というコマが出てきて不吉さを出す。そしてほんとうに亜豆がそのシーンを実現させてしまう。
 亜豆をモデルにしたヒロインを出して、この子の中の人を亜豆がやるんだろうと普通は思う。しかし、「アニメ化」の夢を通り越して、「現実化」してしまったっていう構造が悲劇をより盛り上げる。でもエンドロールの最後を「待ってる」のコマで締めたのは、綺麗な思い出か今後の暗示か。なんて深読みもしたい。だってサイコーと亜豆には一緒に笑っててほしいから。


 他にも言えることはたくさんあるけど、個人的にアツかった点を1つだけ。自分語りになるのは好きではないが、これだけは伝えたい。色んなジャンプ作品の絵やネタが作中に散りばめられていること、ジャンプ愛である。
 『ボボボーボ・ボーボボ』が表紙のジャンプに川口太郎の急逝のお知らせが載るというのは、ギャグの王者と敗者の対比だろう。エンドロールの実在するコミックスの背表紙にスタッフの名前が書かれているのも良い。DVDとかでゆっくり見たくなるし、私もここに載りたい(そういうコラ画像作るか)。その中で服部(山田孝之)の机周りには『ドラえもん』(小学館)グッズがあるのがまた彼の異質さを表現できていて良い。
 しかし、例えば『PSYREN』『P2!』のように知る人ぞ知る、ファンもいるけど人知れず打ち切りになった漫画は見えてこない。これらは私が大好きで珍しくコミックスを全巻揃えるような漫画である。私が好きでコミックスを集める漫画はジャンプで打ち切られやすいのだ。さすがジャンプ、それでこそジャンプ。そんな呪いを持った私に好かれたにも関わらず、人気を持って続いている漫画がある。『ワールドトリガー』だ。そんなワートリが、なんと往年の偉大な漫画たちが並ぶジャンプの歴史紹介のシーンの最後に入っていたのだ。これだけで嬉しい。ジャンプが今一番期待している漫画はワートリなのだ(演出上)。そういう夢を見させてくれただけで嬉しい。映画『バクマン。』全体のストーリーと重ねてしまって尚更ここにワートリがいることが嬉しい。ありがとう。


 プロジェクションマッピングの演出など、他にも見所はたくさんある。終わり方はまさしく『スラムダンク』である。バトルのシーン、もしかして実写『るろうに剣心』のオマージュ?
 そしてアニメ化をする際にも原作を大切にする(しすぎてつまらなくなることも多いが)ジャンプらしく、「原作も読みたい」と思わせる映画だった。しかし原作に忠実なのでなく、映画らしく作られていた。『デスノート』と共に、漫画と実写がいい関係を持っている作品のひとつだと思う。


 と、まだまだ言えることがあるくらいわかりやすい面白さであった。きっと、誰かと一緒に見に行って感想を語り合うには最適な映画だろう。

「十六夜」が歌詞に入っている曲集

 個人的に「十六夜」という言葉は歌詞に入っている曲は神曲だという思い込みがあり、9月の十六夜が明日(28日)だということでプレイリスト的なものを作ってみました。去年の音子屋の課題で最初に考えたのですが知ってる曲数が少なくボツにしたのですが、今年少しレパートリーが増えたので。 

 

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衛宮士郎という主人公について

 久しぶりに主人公が格好いいと思うアニメである『Fate/stay nightUBW]』。
 それはエロゲという主人公にプレイヤーを投影させる(=「無個性」が好まれるというお約束)形式を取りながらも、「自分のための強い望み」を持たないという悩みを回収し 、「多数のためなら少数の犠牲をいとわない」という合理的理論を用いることで(反)英雄になるという未来に立ち向かう姿とが交錯して、結果主人公を身近なものに感じながら「正義の味方(英雄)」化しているのではないか。

 「ただ正しい」ことと「正義」は違う。それに加え、彼は「正義」になるのではなく「正義の味方」になるというのがグッときました。