雑記

140字じゃ書ききれないこと。 (@tkkr_g)

音小屋初日――音楽メディアと音楽

音小屋初日終わって思ったことを少々。
講座自体は音楽再生メディアの変化・音楽の聞かれ方の変化・音楽記事メディアの変化のことが中心だったので、そこから音楽そのものの変化について。

 

 

DLやストリーミングが一般化することによって、歌詞やスルメ曲(何度も聞いて味が出る)といったものよりも、インパクトが強く中毒性のある曲や一回聞いて解釈しやすい曲が聞かれやすくなっている。それは木村カエラのbutterflyがCMや着うたで輝くような出だしの良さ重視の曲であったように、DL前の試し聞きでガツンと来て「全部聞きたい」と思わせたり、数多の曲が流れてくるストリーミングサービスにおいて1回聞くだけでその曲を覚えてしまうような工夫である。

そうすると「名曲」というものが生まれ辛くなってくる。インパクトの強い曲はより強いインパクトを求めるような欲求を生み、歌詞の単純さは飽きやすさを生む(少し内容が違うがいしわたりさんも似たようなことを仰っていた

http://kihon.eplus2.jp/s/article/141606395.html

http://kihon.eplus2.jp/s/article/141606395.html)。本当に長い間心に残って人を支えてくれるような音楽は生まれにくくなっているのではないか。

私は特典付きCD商法よりも、こちらの方が問題であると思う。(だからってそれを語る人の批判をしたい訳ではない。それもまたとても重要な問題だ。)音楽は人を癒す薬から、人を快楽に落とすクスリとしての効能を強めているのではないか。もちろん全ての音楽がそうではないが、ニコニコ動画のタグにある「中毒性」という語や、アイドル界隈で「多幸感」というドラッグ用語が使われていること(http://www.alivem.net/column/1124/)
からもわかる。辛いときに寄り添ってくれ背中を押してくれる音楽は(歌詞の上だけではあるかもしれないが)メディアから消えつつある。

音楽メディア自体には痛くも痒くもない問題かもしれない。しかし、リスナーとしては、社会としてはどうだろうか。強い言葉・強い音楽を聞き続けていたら、クスリに現実逃避していたら、いつか音楽は(ハリウッド映画のように)プロパガンダ装置として権力に飲み込まれてしまうのではないか。いきすぎた妄想なら構わない。しかし音楽が好きで音楽と共に生きていく以上は、好きな音楽がどこかへいってしまう前に見つめ直すことも必要なのではないか。

未来への疾走/Rythmic Toy World にのせて


追記
しかしもちろん、面白い試みもある。OP・ED・挿入歌などで曲の一部が発売に先立って公開されるアニメの曲では、公開されない2番などの部分で大きく展開が広がるなど全体を聞いたときにも新鮮な気持ちで聞いてもらえる工夫が多く見受けられる。たとえば、残響のテロルOP「Trigger」では1番はアニメOPそのまま、一度曲が完結したかのようにみせかけて2番が始まる。つまり、構成をテンプレ化せず、予測不能にすることだ。DL化による試し聞きにも、この工夫は応用できるだろう。