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雑記

140字じゃ書ききれないこと。 (@tkkr_g)

『話題の「変な」新曲』―くるり「liberty&gravity」―

批評

ギブス岡村詩野さん回②課題。
くるりの「liberty&gravity」のレビューを1000字程度で、といったものでした。

 

 発表当初、「変な新曲」と話題であったくるりの「liberty&gravity」。どうやらライブで初披露して、発表前から「変な」新曲と話題になったらしい。そして、くるり公式はそれを意図的にPVの紹介文にも入れている。たしかに日本の音楽シーンにはあまり出てこない曲なのかもしれない。だがしかし、この音楽の「変さ」に食いついた音楽好きが「変だ」と騒ぎすぎて、私個人としてはこの曲を「変だ」と思いたくなかった。というか、(今回はPVを除いて)曲単体としてはほんとうに変なのだろうか?

 思いつく「変そうな」要素をひとつずつ見ていこう。様々な民族楽器が入っているような音楽は、インターネットの発達によるグローバル化の影響で他にもある。曲が長いというのも6分半くらいならたくさんあるし、リズムもマーチなどを使っているが変という程でもなく、歌詞がもっと変な曲はメジャーインディーズ問わずある。メッセージも、ユニコーンの「働く男」とももいろクローバーZ労働賛歌」といった労働賛歌とほぼ同じで、「働こう」「頑張ったらいつかきっと報われる」「会えないけど君が支え」的な歌詞が共通している。そうやって考えていくと、おそらくこの「変さ」の印象はメロディやハーモニーから来ているのだろう。

 その「変な」メロディやハーモニーはどこかアジア的である。全体的にインドとか昭和の日本の曲とかを思い出すような、東洋の民族的な雰囲気が漂っている。その雰囲気の違いは西洋と東洋の古典的な音楽を聴き比べるとわかるように、メロディ・ハーモニーに対してのアプローチが根本から違うからだ。西洋の音階は「ドレミファソラシド」で、短調長調などシステマティックである。だが、東洋の音階は「ドレミ~」で表せない音が存在したり、使う音の組み合わせが西洋人からすると不協和音に聞こえるものも多い。ここで私が思ったことは、私たちのいる日本が東洋であるにも関わらず、西洋風の音楽を「普通」として東洋風の音楽を「変」とすることが変ではないか。そして、東洋風の音楽を『「変な」曲です』と言われて『たしかに「変」だ』と受け取ってしまうことが変ではないか。くるりはおそらく、公式PVにわざわざ『既に話題の「変な」新曲~』と紹介文に入れてそのような日本という国の矛盾を皮肉ったのだろう。私たちの「普通」を問い直すような、挑戦的な曲がこの「liberty&gravity」なのである。