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雑記

140字じゃ書ききれないこと。 (@tkkr_g)

光の言説-THE BACK HORN Lyrics-

批評 THE BACK HORN

映画公開に先立って「光」というキーワードからTHE BACK HORNの歌詞世界について考えてみたもの。
文章は荒いですが、THE BACK HORNへの愛が伝わるといいなと思います。人によって解釈が違う部分もあると思うので、違うと思ったらそれも言語化しておくとTHE BACK HORNも嬉しいかなと思います。

 

 

 もうすぐ「光の音色-THE BACK HORN Film-」という映画が公開される。これはバンド映画にありがちなライブなどのドキュメンタリー作品ではなく、THE BACK HORN(以下、バックホーン)のこれまでの曲を元に編成されてロシアで撮影された映画である。内容に関しては映画を観るのを楽しみにしておくとして、映画の公開記念に私は結成から現在に至るまでのバックホーンの「光」に対する意識を歌詞の面から読み取っていこうと思う。光と一言に言ってもその内実は多様である。そこで歌詞の中の光的な言葉・反義語である闇的な言葉のを抽出し、その描かれ方はどう変わっているのか、または変わっていないのか、アルバムごとに検証していく。

 ①インディーズ1st「甦る陽」
〈<u>星影</u>〉〈<u>闇</u>知らぬ者は<u>光</u>もしかり〉〈命の<u>灯</u> 青白く燃やせ〉(「サーカス」)
〈燃え上がる<u>太陽</u>に背を向けたまま〉(「新世界」)
〈強く <u>光</u>が包み込む 目も眩むほどに〉(「ひとり言」)
 ②インディーズ2nd「何処へ行く」
〈巡り巡る<u>太陽</u> 昇るのを待っている まだ生きているかと〉(「ピンクソーダ」)
〈煙立ち籠めて青白く<u>光る</u>〉(「怪しき雲ゆき」)
〈明日は<u>光り輝く</u>〉(「晩秋」)
〈むせかえる息もできぬほどに <u>夕闇</u>立ち籠める〉(「何処へ行く」)
 この2作品は共通して、光は闇と表裏一体であったり、自分が光をどこか拒絶していたりする。どこか諦めた印象。あまり光はいいものではないようだ。しかし生きること・明日(へ命を繋ぐこと)もまた光であり、それが生きる意味であるというようなことを表している。 

 ③メジャー1st「人間プログラム」
モノクロームの世界に <u>朝日</u>はもう昇らない〉(「幾千光年の孤独」)
〈パンクス 物理学者を 静脈に うてば <u>闇</u>のひだを震わせ 僕の心臓は 唄を歌う〉〈月影のワルツ〉(「セレナーデ」)
〈<u>コーヒー色した闇</u>が 空をつまらなくしてる〉〈<u>闇と光</u>の尾を引いて 明日へと 行こう〉(「サニー」)
〈揺れる<u>裸電球</u> 身の内を映し出した〉(「水槽」)
〈<u>光</u>の中行くのなら 心には<u>三日月</u>を〉〈<u>闇</u>の荒野行くのなら 心には<u>太陽</u>を〉〈そして続くのだ 今日が又そう <u>赤き陽</u>の下で〉(「ひょうひょうと」)
〈目覚めると俺は <u>夜</u>の底まで 落ちていたよ <u>真っ暗</u>な部屋の中 にじむ<u>明かり</u>は 浮世の夢〉〈街の<u>灯</u>が咲いた 帰り道には 迷子たちの<u>影法師</u> 焼け付いて〉(「空、星、海の夜」)
〈<u>オレンジの景色</u>の中 置いてゆくのは何もない 涙も連れてゆけばいい〉(「夕焼けマーチ」)
 この作品でも光と闇は表裏一体である。しかし、それのどちらを選ぶわけでもなく、一緒に連れて行こうとしている点が変わっている。前作では光に背を向けている部分もあり、どちらかというと闇を選んでいたのかもしれない。そして普通は進歩して光を選ぶところであるが、両方を受け入れるという予想外の選択をする。

 ④メジャー2nd「心臓オーケストラ」
〈<u>光</u>射すあなたが<u>照らす</u>道標〉(「ワタボウシ」)
〈<u>影</u>踏み帰る 子供の声や <u>夕焼けに</u>世界が まだ少しだけ続くと思えたよ〉(「夏草の揺れる丘」)
〈電車に乗る真昼頃 <u>橙と青</u>が交わって 天国を作る時間がある 俺たちだけの秘密だった〉(「夕暮れ」)
〈咲け 野生の<u>太陽</u> 暴けよ<u>闇夜</u>を 俺は生きている〉(「野生の太陽」)
〈人を愛する気持ちを知った<u>月の夜</u>〉(「世界樹の下で」)
 相変わらず光と闇が同居している空間が描かれている。しかし、そこには「あなた」や「愛」といった他者がついてくるようになった。光と闇を両方受け入れた先にあるのは、誰かと一緒に生きるという希望・ほんとうに人を愛することではないか。

 ⑤メジャー3rd「イキルサイノウ」
〈乱反射する<u>キラメキ</u>の中へ〉〈躓きながら <u>光</u>の結晶へ 何度でも手を伸ばす俺たち〉(「光の結晶」)
〈<u>暗闇</u>の中 ドアを叩き続けろ〉(「孤独な戦場」)
〈午後の<u>光</u>が眩しくて 見上げた空に溜め息一つ〉(「花びら」)
〈おお こんなにも恥ずかしい姿は もう<u>闇夜</u>のせいなんかじゃない〉(「プラトニックファズ」)
〈素晴らしい明日が広がっていく<u>夜明け</u>〉(「生命線」)
〈想いがいつかは<u>夜空</u>を越えて あなたの元へと届く気がする〉(「羽~夜空を越えて~」)
〈水面に咲く<u>満月</u>の「凛」よ〉〈蒼く燃える熱情だけが 道を<u>照らし</u>てゆく〉(「赤眼の路上」)
〈ただいま、おかえり、遠くに、家の、<u>灯り</u>。〉(「ジョーカー」)
 「心臓オーケストラ」で見えた光とあなたの描写に少し具体性が加わったように思う。その光は雨上がりの水たまりであったり(「光の結晶」)午後の光であったり、普段は見落としているけどふとした時に気づく小さな身近な幸せである。

 ⑥メジャー4th「ヘッドフォンチルドレン」
〈喜びで見失っていく<u>影</u>〉〈<u>月の光</u> 永遠の輪廻〉〈裸のまま解き放つ声に <u>闇</u>を包みこむ力がある〉(「扉」)
〈この<u>夜が明ける</u>頃 俺たちは風になる〉〈<u>闇</u>の沈黙に十六夜の月〉〈この<u>夜が明ける</u>まで 酒を飲み笑い合う〉(「コバルトブルー」)
〈雨上がり<u>朝日</u>に未来を重ねたら 見えたような気がした <u>光</u>の中で〉(「夢の花」)
〈太陽に手を伸ばしてる〉〈燃え尽きていく惑星に ちっぽけな影を伸ばして〉〈月光に手を伸ばしてる〉(「旅人」)
〈あなたがこぼした涙 冬の<u>日射し</u>の中で輝いてずっと見惚れていたんだ〉〈今はまだ小さな<u>ヒカリ</u>でいい〉〈<u>日射し</u>の中で〉(「キズナソング」)
〈<u>輝く</u>未来はこの手で開いてゆける <u>きらめく</u>世界で溢れ出す命が奏でるストーリー〉(「奇跡」)
 かなり明るくポジティブなイメージで光へと向かうようになった。もう下を向いて、諦めて闇を背負うのではなく、前を向いて光へと進んでいる。すると、朝日や日射しといった日常の世界がきらめいて見えてくる。

 

 ⑦メジャー5th「太陽の中の生活」
〈<u>太陽</u>に殺されそうな日も細胞は生まれ変わってゆく〉〈果てしないあの電脳の<u>闇</u>を切り裂けカオスダイバー〉(「カオスダイバー」)
〈鼓動が響いた<u>夕闇</u>の中震える君は弱い陽炎〉(「アポトーシス」)
〈証明 ここに生きている証を<u>照らせ</u> <u>輝く</u>栄光をこの手で勝ち取れ〉〈亡霊 青い<u>影</u>を引きずって踊る〉〈<u>夜</u>が全て狂わせてしまうけれど 生命の絵の具で<u>闇夜</u>を切り裂け〉(「証明」)
〈東の空に<u>光</u>が咲けば いつもと同じ景色が来る〉〈願いは強く 宇宙の果てに届け <u>闇</u>を越えて〉〈息を切らして走った 何もかもを<u>照らして</u>〉(「ホワイトノイズ」)
〈時には何もかも<u>陽射し</u>のせいにして〉〈考え込む<u>夜</u>が下着を脱いだなら 全てがバカらしくなる〉〈いつか<u>赤く光る月</u>をつかみたくて〉(「世界の果てで」)
ブラックホール <u>闇</u>のバースデイ <u>黒い太陽</u> 蜷局を巻く〉〈どうか衝動よ あの子の<u>暗闇</u>を突き破れ〉〈大丈夫 今夜何もかもが<u>輝いて</u>〉(「ブラックホールバースデイ」)
〈浮いて沈む<u>光と影</u>〉(「浮世の波」)
〈<u>闇</u>を抱いて 日々を越えて〉(「初めての呼吸で」)
  光についてはあまり変わっていないが、このアルバムから「闇を切り裂く」といった表現が出てくる。前作でポジティブになった結果、光を求めるために闇は倒してしまおうというスタンスになったのだ。初期の闇と光の同居状態もまだ残ってはいるが、ベクトルとしては光への意志が感じられる。他のアルバムよりも光と闇の表現が多いことから、二項対立的な考えを導入した結果であるのかもしれない。

 ⑧メジャー6th「THE BACK HORN
〈<u>夕闇</u>の中で一人ぼっち〉〈<u>燃える光</u> ぎらりぎらり〉(「ハロー」)
〈世界で一番悲しい答えと 悲しくなれない<u>真っ黒い影</u>〉(「美しい名前」)
〈そして俺たちは飲み込まれていく <u>どす黒い穴</u>の向こう側へ〉(「舞姫」)
〈<u>夕闇</u> 日常を彩ってく〉(「フリージア」
〈<u>闇夜</u>切り裂いて照らし出す〉〈<u>光</u>の中で君が笑う〉(「虹の彼方へ」)
〈世界が<u>輝く</u>くらいに 夢を見れるから〉(「シアター」)
〈消えてゆく<u>灯り</u>〉〈まだ眠れずに窓に射した<u>朝日</u>さえ 漠然と続く今日も夢のまた夢〉(「負うべき傷」)
〈<u>光</u>の中で燃えていた景色が過ぎる〉(「声」)
〈反射する <u>白銀の光</u>に まぶた閉じれば〉〈そして遠く<u>光る</u>あの場所へ飛び立って〉(「理想」)
〈<u>太陽</u>が昇り罪と罰を<u>照らす</u>〉(「枝」)
 バンド名をタイトルにしただけあり、今までの歩みの確認なのだろうか。バランスよく今までの光・闇の描き方が入っているように感じる。

 ⑨メジャー7th「パルス」
〈孤独を暴く<u>光</u> その最前線をゆけ〉〈<u>闇</u>の中で首根っこを掴んだ〉〈暮れゆく<u>橙の逆光</u>を切り裂いてく〉(「世界を撃て」)
〈入り混じる<u>曳光</u>に身を伏せたまま〉〈誰のため何のため嘲笑う<u>月</u>〉(「フロイデ」)
〈黒い翼広げ 羽ばたくカラスが<u>夜</u>を告げる 赤い<u>テールライト</u> 流れる景色が滲んでゆく〉〈世界が目覚める あの<u>夜明けに</u>手を伸ばすよ〉〈独りじゃないなら<u>闇</u>の中を走り出せる〉(「覚醒」)
〈繋がることはないよ 匿名希望の<u>影</u> どこまでも憑いてくる〉(「さざめくハイウェイ」)
〈<u>朝日の射す</u>公園 零れる希望に 眩んだこの目閉じて <u>明かりのない</u>世界を夢中で駆け回った〉〈いつまでもその<u>灯</u>を守り続けて〉〈どこにいても笑えないことばかりだよ だけど<u>太陽</u>は昇るのさ〉(「鏡」)
〈眩しすぎる<u>太陽</u>さえ奪えずに〉〈<u>夜</u>が来なければ誰が愛を語るだろう <u>夜</u>が恋しくて俺は目を潰すだろう〉(「白夜」)
〈<u>星</u>よ <u>月</u>の雫よ 誰の道を<u>照らす</u>のだろう〉〈夢中で追いかけた微かなその<u>光</u>〉〈張り裂ける<u>夜</u>の中を俺たちは走り出す〉〈飲まれてしまいそうな<u>闇</u>の中で〉(「蛍」)
〈<u>夜</u>に滲む罪の跡〉〈<u>夜</u>に垂れる蜘蛛の糸〉〈叫ぶ欲望さえも 消える<u>静寂の闇</u>〉〈遠く地平の彼方 照らす<u>太陽</u>の下〉(「グラディエーター」)
〈<u>暗闇</u>を<u>照らす</u> <u>照らし</u>出す<u>光</u>〉〈穏やかな<u>日溜まり</u>の中で〉(「生まれゆく光」)
 2曲以外、光と闇に関する語彙が使われている。それだけ光と闇はこのアルバムにとって大切なモチーフなのだろう。そして、このアルバムでは闇を切り裂く訳ではないが、闇から抜け出して強い光への意志が感じられる。

 ⑩メジャー8th「アサイラム
〈脳内麻薬火をつけて<u>太陽</u>の道走り出せ〉(「雷電」)
〈2000年は一瞬の<u>閃光</u>〉(「ラフレシア」)
〈紺碧の空に<u>三日月</u>滲んで消えた〉〈ありのまま何もかも<u>輝く</u>だろう 今はまだ<u>闇</u>に震えていても 笑い合える日が来る〉〈いつかは君に幸あれ <u>光</u>の中で〉〈水たまり<u>反射する</u>飛沫あげて〉〈強く強く叫ぶように<u>夜明け</u>は降り注いだ〉(「戦う君よ」)
〈広がる大地に生まれた<u>太陽</u>が 限りなき生命を等しく<u>照らした</u>〉〈愛しき<u>灯</u>〉(「再生」)
〈<u>輝く星空</u>よ 全てを受け止めて〉〈瞬間の<u>輝き</u>は永遠の始まりさ〉〈<u>光</u>は突き抜けて〉(「羽衣」)
〈<u>光</u>は滑走路〉〈<u>春の陽</u>に手を伸ばし〉「海岸線」)
〈この<u>闇</u>を突き抜けて〉(「ペルソナ」)
〈野生の本能よ 今 叫べ <u>闇</u>の中で〉〈救われない孤独に<u>光</u>を〉〈そして世界は<u>輝く</u>〉〈<u>太陽</u>が熱く熱く<u>照らしている</u>〉(「太陽の仕業」)
〈二度と帰れない<u>闇</u>の彼方へ〉〈羽撃き続ける<u>微かな光</u>へと〉(「閉ざされた世界」)
〈この真っ白な<u>朝焼け</u>が映してる〉(「汚れなき涙」)
〈黒さを増してく<u>影</u>〉〈<u>光</u>をこの目で掴まえた俺が生まれた日〉〈未来を<u>光</u>を掴まえに掴まえにゆこう〉(「パレード」)
 このアルバムも全曲に光と闇の語彙が入っている。そして光を目指すにあたって、〈照らす〉というような拡散する光のイメージだけではなく、〈道〉〈滑走路〉といった直線的な・視覚的な光のイメージも使われている。目的としての光に一直線に向かっていくような意識である。


 ⑪メジャー9th「リヴスコール
〈あるのは生身の生命が<u>灯す光</u>だ〉(「シリウス」)
〈走馬灯のように<u>光る星</u>〉〈途切れ途切れのSOSが溢れそうで<u>光</u>に目を細めた〉〈<u>光</u>の中で今〉(「シンフォニア」)
〈<u>光</u>の指す方へ〉(「グレイゾーン」)
〈<u>橙の電灯</u>が遠くなってゆく〉〈いつものドアの向こうには 穏やかな<u>陽だまり</u>が揺れるだけ〉(「いつものドアを」)
〈まぶたを閉じる <u>陽だまり</u>の中〉〈手をかざして差し込む<u>光</u>〉〈<u>光</u>の先へ〉(「風の詩」)
〈宇宙で一番の<u>明かり</u>探すよ〉〈遠く誰か呼ぶ声がする <u>暗闇</u>で〉〈そっと傷口を優しく<u>照らすよ</u>〉(「星降る夜のビート」)
〈時を越えた<u>光</u>にあやかって〉(「超常現象」)
〈寝ぼけ眼に写った荒れ狂う<u>闇</u>の壁〉(「反撃の世代」)
〈触れない<u>光</u>に伸ばす指先〉(「自由」)
〈<u>光</u>や笑顔や喜びに隠されてしまうその前に〉〈朝と昼と夜と<u>光</u>と<u>影</u>と僕とその間で奏でている〉(「世界中に花束を」)
〈<u>夜が明け</u>それぞれの<u>朝</u>が始まてゆく〉(「ミュージック」)
 前2作の強い「光」への目的意識、それが東日本大震災を経た「リヴスコール」では〈光の指す方〉〈光りの先へ〉と、「光」そのものではない漠然とした何処かへ向かおうとしているのが印象的だ。更に、漠然としているにも関わらず、〈電光石火で〉〈駆け抜けて〉〈走り抜けて〉いくのだ。そして、よく見えなくなっているからこそ「闇」という表現も2回しかなく、光の表現に偏っている。

 ⑫メジャー10th「暁のファンファーレ」
〈旅をはじめよう 風さえ寝静まった<u>夜</u>に〉〈Stand by me in the <u>moonlight</u>〉〈道を<u>照らせよ月光</u>〉(「月光」)
〈何度でも<u>光</u>を求め〉〈有頂天 無条件 <u>闇</u>の中で〉(「シェイク」)
〈今!迫り来る<u>闇</u>の奴隷にはなるなよ〉(「バトルイマ」)
〈<u>闇</u>の中で〉(「エンドレスイマジン」)
〈日差しが目に突き刺さって〉〈やがて闇に黒く黒く染められて躍る星の下〉〈揺光〉(「幻日」)
〈長く伸びた影落とし〉〈淡き青春の光 路を<u>灯す</u>〉〈今 黄昏踏みしめ <u>光の影</u>指す方へ〉(「タソカゲ」)
〈水面に瞬き揺れて<u>光</u>れ〉〈<u>光</u>の絵筆重ねて〉〈胸の奥へ届く<u>光</u>〉(「シンメトリー」)
〈<u>暗い</u> 高架橋の上〉〈点在する ビルの<u>明かり</u>〉〈希望が<u>照らす</u>日まで歩いてこう <u>朝日</u>を浴びて〉(「ホログラフ」)
 歌い出しは〈旅をはじめよう/風さえ寝静まった夜に〉で始まる。目的地なんてなくていいのだ、走らなくてもいいのだ、そう吹っ切れたようなアルバムだと思った。そして〈光の影指す方へ〉と、初期と同じく闇を伴うものとしても描かれる。

 こうして見ていると、その時代感のようなものが光と闇の表現に現れている。「暁のファンファーレ」では、〈偽造 履歴 癒着 利権 社会〉(「シェイク」)〈愛国心 モラル 医療 アレもソレも 崩壊はとどまることを知らない〉(「エンドレスイマジン」)など多数の具体的な社会が孕む闇が目立つ。それらは震災以前の繁栄の裏側に押し込められてきた矛盾であり、光で覆ってきたもの・覆いきれなかったものである。光が強いほど影は濃くなるが、光が強すぎると影もなにも見えなくなる。だから盲目に光を目指すのはやめて、旅に出よう、色んなものをしっかり見よう。「暁のファンファーレ」はそんなアルバムである。

 「光の音色-THE BACK HORN Film-」は11月1日公開である。使われる曲は「月光」「生命線」「シリウス」「罠」「幸福な亡骸」「アカイヤミ」「ブラックホールバースデイ」「コオロギのバイオリン」「何処へゆく」「コバルトブルー」「シンフォニア」であるらしい。そこには光・闇的な表現が直接は入っていなかったり、アルバムに入っていなかったりでこの文章に載っていないものもある。
 曲の年代もベクトルもバラバラであるこれらの曲をどのように再構成するのか。今回焦点とした歌詞に加えて、曲や映像という面でどのように「光」が描かれるのか。そのような視点でこの映画を見てみるのも面白いと考える。