雑記

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山崎宗介への手紙 ――冬の物語としての『映画 ハイ☆スピード!―Free! Starting Days―』その2

アニメ版『Free!』について→『ヱクリヲvol.1』
ハイスピについてその1↓

ecrito.fever.jp

このタイトルを付けたいがために二部構成になりました。ごめんなさい。こちらでは宗介への愛が溢れております。①の後半のへんから分岐していると思って読んでください。

 

 

「映画 ハイ☆スピード!-Free! Starting Days-」ロングPV - YouTube

 

 

 そんな〈エターナルサマー〉へと到達する一連の物語の中で、そこに辿りつけなかった人物が1人だけいる。山崎宗介だ。宗介は凛と同じ佐野小学校(遙たちは岩鳶小)に通っていて、遙と泳ぐために岩鳶に行く凛を見送った、凛の親友である。凛と一緒に泳ぎたい、ライバルになりたいと思いながらも、遙のカリスマ的な泳ぎの前になかなかそうなれない。そして、肩を怪我をした後、水泳人生最後に凛と一緒に泳ぐことを叶え、未来が見えないまま物語が終わってしまった存在だ。

 彼は劇場版で重要な人物として描かれる。他校の生徒ではあるが、練習試合や大会の場面で、迷っている遙に対してなにかと凛の存在を叩きつけ、勝負を仕掛け、厳しく接する。それは宗介の嫉妬の表れでもある。嫉妬の理由は劇場版の最後に、宗介に送られた凛からの手紙を、遙が読むところを見ると納得するだろう。手紙には凛のオーストラリアでの近況報告と共に、やたらと遙の泳ぎへの想いが書かれている。「あいつみたいに泳ぎたい!」、その「あいつ」の下にはある言葉の痕跡が見て取れるのだ――「お前」と。この手紙は凛が遙に向けて書いたが、送る勇気がなく、書き換えて宗介に送ったものなのだ。
 そりゃ親友からそんな手紙がきたら嫉妬する。そしてそれだけ親友が憧れる奴が、情けない泳ぎをしていたら「ナメてんのか」と怒りたくもなる。小学生の頃の回想で(この「冬の物語」に具体的な冬が描写される唯一のシーンでもある)、親友であるのにも関わらず、宗介に「お前バッタ(バタフライ)泳げたっけ?」と聞く残酷さも相まって、「宗介をなんだと思ってるんだ」と凛には一度説教をしたいくらいだ。加えて、彼はこの劇場版では佐野中水泳部に所属しているけれども、練習試合で調子が悪い遙と対決した一度だけしか泳がない。練習試合でも大会でも、学年別リレーには選抜されていない。天才的な遙と対極にいる、いわば凡人なのである。不憫すぎないか劇場版山崎宗介。
 その不憫さは劇場版だけで終わらない。高校では最初は東京に行って努力して全国レベルの選手になるも、その代償として肩を怪我して水泳を辞めざるをえなくなるのだ。そこで鳥取に帰ってきて、物語時間内でまあ凛と泳げて後輩に慕われて、一緒に最高のチームを作ることができた。しかし、一人だけ進路があやふやなままで、夕日の沈む海を1人眺める意味深なシーンだけ描かれている。凛は遙と共に未来(青空)を見ているのに、だ。水泳の才能・スタンス、将来、凛に対しての意識、そして凛との関係――徹底的に遙と対比されるように、宗介の立ち位置は作られている。水泳と凛に関わる限り、報われない冬の時代を生きる宗介。彼はハートフルなキラキラストーリーの中で、1人だけ解消し得ない影を背負う存在なのである。

 しかし、そんな宗介にも「エターナルサマー」への到達を示唆ものがある。キャラクターソングである「明日へのLast Race」だ。この曲では(も)「おまえのチームで 今度こそ 本当の仲間に なりたいんだ」と、凛への想いを歌っている。「たとえムチャな願いと言われても 諦めきれない景色がある 後悔なんてしない 永遠の夏へ今 忘れないLast Race」――そこで、宗介は「後悔しない」ために、無茶をして凛と泳ぐことを選択したことがわかる。(どこぞの主人公のように)「過去に縛られない」ために、(どこぞの主人公よりも)長い長い冬の時代を脱するために、最後に凛と泳いだ。それは今後、怪我のために泳ぐことのできない宗介が、この〈最高の夏〉を〈永遠〉とし、そして次の、水泳ではない、〈エターナルサマー〉に至るためのけじめであった。その過程が宗介には必要だったのである。
 前向きで爽やかな曲調のこの曲を聴いていると、宗介にも『Free!』の物語では語られなかった次の、そして更新されていく「夏」がきっとどこかで訪れている予感がするのだ。『Free!』が物語時間の2009年前後だけでなく、その未来の―私たちが生きる現在も含めての―時間を含む物語であるからこそ、物語内で報われなくても少し楽観的に思えるのである。
 最後に、(キャラへの手紙をブログで公開するとはなんとも痛々しいが)劇場版で果たされなかった「山崎宗介への手紙」を記しておきたいと思う。


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宗介へ

 元気か?
 2015年、もうすぐ2016年。君は23歳とかになっているね。
 大学に行っていたら卒業して1年経った頃だろうか、それかもうとっくに、実家の仕事を手伝っているのかな。もしかしたら凛の言葉通りに治らないと言っていた肩を治して泳げているのかな、なんてことを言うのは残酷だよね。誰かさんみたいだ。

 そんな誰かさんに対して遙は、速さに興味ないと何度も言った。それは泳ぐことそのものを愛する遙の本心だったのだと思う。けれど、一方で負けず嫌いの性格もあり、その才能もあり、凛に尻を叩かれる形で、高校を卒業するにあたって競泳、つまり速さの世界に飛び込んだ。それが天才であるが故の宿命でもあった。
 けど、君が最後に目指したものは、速さではなく、仲間との、凛との、繋がりの泳ぎだった。怪我をおしてでも出るっていうのはそういうことだ。それは、もしかしたら遙が、ほんとうに目指したかった泳ぎかもしれない。選手生命の終わりという、ピリオドが目の前にあったからこそできた泳ぎ――皮肉だけれど、君は遙の至れなかった境地に行けたんだよ。

 そして、そんな様子を見て思う。私だったら、遙より、君みたいに泳ぎたい!

 このひとことが言いたくて、この手紙を書きました。物語では報われなかった宗介へ、君の人生という物語に幸あらんことを。

2015年師走