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雑記

140字じゃ書ききれないこと。 (@tkkr_g)

山下智久「FUTURE FANTASY」(20161204夜)感想

山下智久が見せたかった「FANTASY」は、おとぎ話ではなかった。


前半は、線→点→面と移行する映像や光のモチーフによって線(繋がり)は点(個)によって成り、点は面になりうることを描いた(=横・オブジェクト)。映像や光、つまり周りのスタッフ(個)によって山Pのライブという面ができているということ。そして「山下」の応援がファンに繋がり、ファンは「sweeties」という面になるということ(今日お会いした方々はパワフルから大人しめ、若手からベテランまでそれぞれのスタイルを持っていた)。それはやがて全てが混ざりあって一つの画面を埋めるようになり、スタッフ/山P/ファンは溶け合っていく。それはより多層的な世界へと向かう後半にも散りばめられ、説得力を持たせている。

一方の後半では、そんな「希望」が「FUTURE」にもきっとあるということが音楽や後輩と過去の自分を繋げたことによって示された(=縦・レイヤー)。正直、わたしは「YOU」や「遊」や最近のドラマの役を見ていて、どこかハイコンテクストで近寄りがたい印象を受けていた。だがわたしが大学に入る前に知っていたような曲を聞けた瞬間に、当時の頭が悪くて親しみやすいイメージと今が線で結ばれたのである。

そしてそれらは冒頭の映像や途中の衣装で全く飾り気のないスーツ(それは一番「現実」を突きつけてくる衣装だろう)を用いたり、テクノロジーを使った演出があってもどこかで山Pやパフォーマーの身体や舞台装置と結び付いていて原理がわかるものであったりと、「FANTASY」と言いつつもやたらと「リアル」な面を意識していたことがわかる。

たとえばEDMからアイドル曲やバラード、もっと土着的なコミュニケーションまで正直方向性がわからないほどに織り交ぜていたバラバラな曲という「点」を一つのセットリストにすること、またはMCで何気なく言った「動画」のメディア的特性、「今日のライブは長持ちする」という言葉も、バラバラなオブジェクトがレイヤーを重ねて立体的に配置されるとリアリティのある画面ができることと同じ構造を持っている。よくわからないほどに雑多なものが、全てが一つのライブとして成立して在ったのだ。
そしてなにより、山Pが「FUTURE FANTASY」とて表現したものとは、作り物のようであるが現実であり、山Pと一緒に歩いていけ、憧れを抱いてるならば山Pのようになれるという、「夢」の多層的な意味を一つの物語として仕立てあげていた。