雑記

140字じゃ書ききれないこと。 (@tkkr_g)

FGO1.5部についてぐだぐだ

去年FGOについて書いたんですが(http://ecrito.fever.jp/20170126230720)、そこで引用したギルの「(略)故に――真に人理を脅かすものは、人理を守ろうとする願いそのもの。(略)」って言葉を心にわたしは1.5部を走ってきました。
ぐだの行いってずっと「選択」で、ヒーローにありがちな「止揚(うまい言葉がみつからないので仮で使います)」ではないんですよね。敵を前にして「そんなお前ものこ世界にいる必要がある!お前にも居場所がある!」ってのではなく、単に敵を倒していくスタイル。

止揚」をするヒーローってかなり「神的」というか、「母の愛」=ティアマトを思い出すのですが、それと対照的な選択をするということはどこまでもぐだは「ただの人」であって神でもヒーローでもない。
人間を救うために行動してるから博愛のように見えるけれど全然エゴで動いている、ぐだがやってることにはロマンの欠片もないんですよ。まどかが女神になって全魔法少女を救う物語の方がよっぽどロマンがあるじゃん(かわりにほむほむが生まれるけど)。つまりまどか的な役割をしたロマンがまさにロマンなんだけど。そこでほむほむにならないところがぐだなんだけど。

んで、だからこそその「選択」が正しい保証なんてないけど英霊が支持してくれて盛り上げてくれることでプレイヤー的には気持ちよく進んでいて、加えて何より、「必ず勝つ」ことがその正当性を担保してる。アビーが魔女になろうと最後に勝って人間を守れたからハッピーエンドだし、アビーがカルデアに召喚される存在になって万々歳なんですよ(ラヴィニアは来ない)。「アビーを魔女にしなかったルート」を探す余地がないソシャゲだからこそ、「勝つ」ことだけが正当になる。だってプレイヤーに「選択」は求められないから。

眠いのでメモ書きがわりにこのへんまでで。

12/24追記
よく考えたらロマニが好きな「マギ☆マリ」ってタイトルがとてもあれ